2013年5月29日水曜日

100年前の親の名前

あなたは、自分の両親の名前を知っているだろうか?

だいたい、知っていますよね。
何か事情でもない限りは。

では、祖父母となるとどうだろう?

知っている、と即答できる人も多いだろうけど、「そう言えば、ちょっと自信ないかも」という人も、結構な割合でいるのではないか。祖父母と同居していないと、案外わからないかもしれない。


ではでは、曾祖父母となると、どうだろう??
名前を言えるだろうか?
あなたのお父さんのお父さんのお父さんだ。

3世代、前だ。


私は言えなかった。
名前を知らないということすら、意識していなかった。
でも、これってとても不思議なことではないだろうか?

子供のいる人ならわかると思うが、子供というのはかけがえのない存在だ。
そして、子供にとって親というのは、同じくかけがえのない存在だ。

とっても大事な存在の1つであると言える。

その、大切な人の親は、同じく大切な存在であるべきだ。

そして、更にその親も・・・。


私の家には昔から、小さな石碑のようなものがあった。
墓石のすごく小さいようなものだ。

どうやら昔、井戸があったようで、その井戸を埋める時に供養のためにつくったらしい。
我が家ではそれを水神さまと呼んでいる。

もう少し裕福な家であったら、もしかしたら社や鳥居でもつくって、あるいは弁天様とかを勧請して、家の守り神さまとして祀ったかもしれない。このあたりはよくわからないが、とはいえ、我が家には小さな石碑があった。

この石碑、つまり水神さまについては、色々と不思議な体験をしているのだが、それはまた別の機会に書くとしよう。

ともかく、この石碑はずっと我が家にあったわけだ。
庭の隅に、ひっそりと。


ある時、何気にその石碑の側面を覗いて見た。
そこには文字が刻まれている。

今まで気がつかなかった。
あるいは、気にしていなかったのか。

ハッキリとした文字が刻まれていた。


上根 ●●●(人の名前)

とあった。

もしかして、曾じいちゃん??


そう、曾爺さんの名前だったらしい。
私もあったことがないのだが、私の親もあった事がないらしい。親が生まれる時にはもう亡くなっていたという。


その時、私は思ったわけだ。


なんで、曾爺さんの名前を知らなかったんだろう、と。

知らない事に気づいてもいなかった。


「遠い親戚より近くの他人」とはよく言うけれど、3世代も経てしまうと、自分の血のつながりの、もっとも濃い部分の人ですら、興味を持たなくなってしまうものなのか。


この時から、次第に過去のことについて興味を持ち始めるようになった。

私の親の親の親の・・・は、同じこの土地で、どんな風景を見ていたのだろう。

何を想い、どこで悲しみ、誰と喜びをともにし、どんなことに心を動かされていたのだろう。


そんな事を考えながら、昔の風景を取り戻そうとしているのです。
物理的には無理にしても、過去の彼らや彼らの土地を、私が想い記録しなおすわけです。

単なる趣味です。

趣味ですけど、もし100年後、私の大切な子供の子供の・・・が、100年前に存在していた親の親の・・・に思いを馳せてくれていたら、やっぱり少し嬉しいと思う。

そんな事を考えながら、私は次第に歴史関係に興味を持つに至りました。
そして、今こんなブログを書いているわけです。

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