2013年7月5日金曜日

七夕の話

7月7日。
もうすぐ七夕です。

一桁の奇数で、月と日に同じ数字が並ぶ日は、節句となっています。
節句とはもともと中国由来の季節の節目としてあったもので、やがて江戸幕府が公的な行事の日として五節句の日を定めました。

・1月7日人日(じんじつ)七草※1/1は別格、代わりに1/7
・3月3日上巳(じょうし/じょうみ)桃の節句、雛祭り
・5月5日端午(たんご)菖蒲の節句
・7月7日七夕(しちせき/たなばた)たなばた、星祭り
・9月9日重陽(ちょうよう)菊の節句

奇数は陽数ということで、縁起が良いと考えられていたわけですが、それの最大数である9。つまり9月9日は誠に縁起が良いということで、重なる陽、重陽の節句なわけですね。

で、7月7日の七夕(たなばた)ですが、七夕と書いて「しちせき」の節句と読みます。
たしかに、七夕と書いたら読みは「しちせき」の方が正しそうだ。
では、なぜ七夕と書いて「たなばた」と呼ばれるのだろう?


七夕祭りをひもとくと、由来は大きく分けて次の3つに分かれる。

①中国由来の乞巧奠(きっこうでん)。7/7に行われる、針仕事や習字、詩歌上達を願う祭行事。現在の短冊の願い事につながる。
②中国に伝わる牽牛星と織女星の伝説。天の川、星の伝承につながる。
③日本古来の伝承。棚機津女(たなばたつめ)の話。

出ました。
3ツ目。
棚機(たなばた)から「たなばた」が来ているんですね。

棚機津女とは、古来、川原の小屋で機織で織り、神の一夜妻となる女性のことをいいます。
その目的は?もちろん、村の災厄を除くため。


旧暦の七夕は旧暦のお盆と日にちが近いため、七夕は盆行事とセットに発展しました。
棚機津女が織っていた衣も、祖霊に着てもらうための衣服であると言われています。
笹は神の依り代でもあり、地域によっては笹を川に流したりもするので、禊や、ケガレを払う意味合いもあったんでしょうね。

七夕は川や水、女性に関わる伝承が多い。
行水しろだとか、洗髪しろだとか。
理由はわからないが、埼玉には「七夕は畑に入るな」という禁忌もあるとか。なぜ!?


さて、私の住んでいる場所の近く、蕨市の塚越というところに、稲荷神社があります。
JR蕨駅東口から徒歩15分ほどでしょうか。
法華経一万部を埋納したという小山のような経塚の上に、稲荷社が鎮座しています。


で、この境内に「機神社」という社がある。

当地のある旧塚越村周辺は、かつて綿織物業が盛んだったらしいのですが、その中でも高橋家5代目新五郎とその妻いせが綿織物業の発展に貢献したとして、この機神社に祀られているのだそうです。
すごいですね・・・。

風土記稿によると、
「文政八年(1825)、七月七日、関東宮の霊夢によって機織行を志した新五郎夫妻は、従来の高機を改良し、錦織物の青縞を完成させた。これにより機屋の規模が拡大するとともに、様々な織物を考案し、この地を全国に名を知られるほどの織物生産地にした。大正時代、人々は五代目夫妻の遺徳をたたえ「機神様」として関東宮に合祀し「機神社」と改めた。」

のだとか。
もとは吾妻社、あるいは関東宮と称していたとか。
すごいですね。
神様として崇められちゃうなんて。
ところで、もともとの関東宮とは、何の神だったのだろう?と考えると、話が脱線するので次の機会に考えよう。

ということで、私の身近にも七夕由来の神社があったのである。

ところで、川口市は前川のあたりも機織りが盛んだったらしい。かつては若い女性が田舎から出てきて機織りに勤め、そんな女性たちにとって前川観音のお祭りは、ハメを外して遊べる楽しい行事だったらしい。

前川のあたりも古くから川がある。

もしかしたらもっと古い時代にも棚機津女とその機織り小屋があったのかもしれない。


遠い過去の棚機津女に思いを馳せる。
棚機津女が一夜妻として会っていたのは、本当に神なのか。
それとも、実は隠れて、織姫と彦星のように普段会えない意中の人と会っていたのかもしれない。私としては、そちらの方がいいな。

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