2014年5月21日水曜日

魔王とクラレッタのスカート

個人ではどうしようもない時代の大きな流れというのがあるかもしれない。

自分の思うことと異なる大きな流れが押し寄せた時、私は水に流されないでいられるだろうか?


小説「魔王」の中のエピソードとして、「クラレッタのスカート」という話が出てくる。


魔王 (講談社文庫)

クラレッタは、イタリアの独裁者でファシストの創始者と言われるムッソリーニの愛人。
ムッソリーニと愛人クラレッタは、広場で処刑されることになる。

2人は処刑され、民衆が囲む広場にその遺体は引きずりだされ、逆さづりにされる。

その時、逆さづりにされたクラレッタのスカートがめくれてしまう。それを見て群衆に笑い声がおこり、中には卑猥な声や罵声を浴びせかける者もいた。

その時。1人の男性が群衆のなかから足を踏み出した。そのまま淡々と進み、梯子をのぼり、クラレッタのスカートを直す。

下手をすると、興奮した群衆に殺されかねない行動だった。

この「クラレッタのスカート」の話を引き合いに、この小説の主人公はこう言う。

「恐怖とか、まわりの雰囲気に負けたくない。馬鹿でかい規模の洪水が起きた時、俺はそれでも、水に流されないで、立ちつくす1本の木になりたいんだよ」


いや~私にはきっと無理だろう。
流木になるどころか、流されまくって翻弄され、途中でどっかに埋もれてしまう小枝程度じゃないか。

つくづく、嫌な時代にはならないでもらいたいものだ。


日本の歴史の中で、このような“馬鹿でかい洪水―雰囲気という名の”が起こったのって、私の思いつくところで言うと、「廃仏毀釈」と「戦争前後の様々なコト」あたりではないだろうか。

特に廃仏毀釈は坊さんまでが進んで仏像を破棄した例もあり、また仏教だけでなく、様々な民間のカミもその対象となってしまった。土着の古くからのカミでも、記紀神話につらなる神道の系譜から外れる神は、その対象となってしまった。神社でも祭神や御神体の交代が起こり、それ以前と以後に大きな断絶が起こるに至った。


しかし、日本人というのはたいしたもので、暴走する人がでる一方、その大きな流れに流されない立派な人というのも何人もいる。
クラレッタスカートをなおせる人だ。

廃仏毀釈の流れの中でも、戦時の時でも、そんな人が一定の割合でいる。


立派だ。
そんな人になりたいものだ。


ところでこの本(↓)は必読だと思う。
でないと、また日本は敗れるかもしれない。色々な意味で。
右でも左でもなく、ただの悪人をのさばらせることはできない。



日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)

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